珍しいな、私がこんなに弱気だなんて。
今日のことは忘れてくれ。

交通量の多い通りまで意識のないロイを運ぼうとする。
けれど、女だということを自覚するのには十分なほど彼は重たく持ち上げられなかった。
誰かに手伝ってもらってもいいのだけれど、あまり彼と居るところを見られたくはない。
それに彼は今意識がないのだから。
少し、妖力を開放して両腕の筋力だけを増力した。
コンタクトで銀灰の瞳は隠せているだろうけど、久しぶりのその作業に僅かばかり目眩がする。
やってきたタクシーを止めて車に乗せるまではよかったけれど、そこではたと気づく。
「どちらへ?」
そう聞かれて彼の家どころか住んでいる方向さえ知らないは、隣に転がしたロイをちらりと見遣る。
今晩は一緒にいると約束してしまった手前、彼を家に帰すという選択肢はない。
だからといって彼は女性を自宅に入れないといっていたではないか?
「東邦司令部までおねがいし 」
「カルテット通りの花屋の向かいまで、」
げほ、と咳き込みながらの科白にの言葉はさえぎられた。
再び横を見ると、片目だけをうっすら開けて笑うロイと瞳がぶつかる。
すまないねと追加して、また目を閉じた。
先ほどの住所はきっと彼の住まいなのだろうけど、そこに行くということは私は帰れということなのだろうか。
女性を家に入れることはしない、その言葉を頭で反芻しているとまもなくタクシーが止まる。
もう付いたのか、もうちょっと一緒に居たかったなといえば彼は笑うだろうか。
それとも困った顔をするのだろうか。
「大佐、つきましたよ。立てますか?」
声をかけると、うっすらと汗をかいた額に手をあてて「ああ」とだけ帰って来る。
ロイのポケットから勝手に財布を拝借してタクシー代を払っていると、ロイがその財布から少し多目に取り出しさっと渡す。
釣りはいいよ、と微笑み颯爽と車を下りるその足元はふらついていて笑えた。
とりあえず、自分はタクシーなど払えないからここから徒歩で東邦司令部まで行こうと考えタクシーを見送る。
大きな門構えのその邸宅は、一人で暮らすには大きすぎるだろう。
そこへ歩みを進めるロイの身分を改めて思い知り苦笑する。
ここでさよならを言って、仮眠室へ帰ろう。
そう思うがその一歩も踏み出せない。
寂しいのかな、私も。
「大佐、気をつけてくださいね。では、」
「約束だろう?」
やっとのことで紡ぎ出した科白を吐き踵を返そうとしたその瞬間、思わぬ言葉が飛んできて。
ちょっと嬉しかったなんて言ったら馬鹿にしますか。
「でも、女性は入れないって前おっしゃってたじゃないですか。」
「君は、人間じゃないだろう。」
もっと躊躇って言うとか、それくらいしてくれたっていいのになと思いながら、
屈辱的な言葉に薄く笑う。
彼の意図はそこではない気がして、先を促した。
「そして私も、人間ではない。」
「兵器だからですか、」
今度は彼が少し驚いたようにこちらを見下ろしていた。
なんだか傷を舐めあう行為みたいだなと、彼は続けてそう言った。
「とりあえず、大人しく寝てください。」
肯定も否定もせず、半ば諦めたような気持ちで彼の開錠した邸宅に足を進める。
玄関もやけにだだっ広く、それと同時にとても寂しさをかんじた。
「私の寝室は二階だ、キッチンはそこのリビングの中。
後は適当に使ってくれ、すまないが少し横になってるから。」
家のなかを見上げて観察していると、ロイがそう言い二階へのぼる。
ぽつりとひとりそこへ残されたその瞬間、どうしようもない孤独感と焦燥感に襲われた。
彼はいつもここへ帰るとこんな感覚に襲われるのだろうか。
暗くて、暗くて、なんだか飲み込まれてしまいそうなその暗闇に怯えた。
「さてと、キッチン借りますね。」
全てを振り払うように、頭を軽く振ってリビングへと進む。
高級感のある家具に囲まれたその部屋は、対照的に使用感が皆無といってもいいほどだ。
シンクへ近づくと、ロックグラスが一つだけ置かれている。
寂しい家だなと思うと同時に、セントラルでの自宅もこれと同様だった自分を思い出した。
そしてまた、似てるのかなと笑う。
置かれたロックグラスを軽く洗って、冷蔵庫に入ったミネラルウォーターを注ぐ。
新しそうなハンドタオルを手にとり冷水にひたしてきゅっと絞る。
それらを両手に持ち、とりあえず二階へと上がっていった。
「大佐、大丈夫で」
いない、
「大佐。」
違う、
「たいさー。」
ここも違う。
「ちょっとここも違うとかいうんじゃないでしょうねロイ、」
またしても違う。
いい加減この広い家にキレそうだ。
次が一番奥の部屋、ここに居るのは確実だろうと思って扉を開く。
案の定その部屋の寝台の上にはコートを羽織ったまま丸まって横になるロイ・マスタング。
一歩一歩近づくと、うっすらと瞳を開けるロイに苦笑する。
「コートくらい脱いだらどうです、」
「だるい」
本当に面倒そうに言う彼にまたも笑いを漏らす。
ベッドサイドにグラスとタオルをそっと置いて、ロイの背中に手を回す。
案外がっちりした体型してるんだなと思ったことが顔にでていたのか、ロイが「軍人なんでな、一応」と言う。
彼のコートを脱がし、はたと手を止めた。
「まさか全部脱がせとかいいます?」
「襲いたいのか?」
「殴りますよ。病人は寝ててください。」
「病人じゃなくなったらいいということか、そうかそうか。」
「勝手な解釈しないでください。保護会会長の中尉呼びますよ。」
ひきつった笑みをうかべるロイに「そうです、大人しく寝ててください。」と笑う。
枕元に置かれた水を一気に飲み干して横になる彼の額に冷たいタオルを置いて、寝室であろうその部屋を見渡す。
「なにもないだろう。」
本当にこの家には何もない。
必要最低限の物は揃っているけれど、その使用感がほとんど無いといっても過言ではない。
もちろん飾りなんてどこにも無いし、写真たての一つもない。
「セントラルの私の自宅よりひどいです。」
ベッドサイドに椅子を引きずってきて、そこへ腰を下ろす。
ロイはそれを確認してから瞳を閉じた。
しかし、不思議と眠りは押し寄せてこない。
再び目を開けると、鞄から手帳を取り出してペンを走らせているが視界に入る。
彼女はこちらに気づいて手帳から視線をうつした。
「何してるんだい?」
「錬金術、勉強してます。暇なんで、」
すらすらとあまり筆圧のなさそうな文字を綴る彼女の手帳を覗き込もうと身を乗り出してはみるけれど、
キッと睨まれたので大人しく横なる。
病人は不必要に動くなということだろう、スパルタな優しさだ。
「君が錬金術なんてマスターしたら誰も敵わないんじゃないのかい?」
「マスターしなくても誰も私に勝てません。」
人間は。 そう付け加えたかったけれど、喉まで出かけて飲み込んだ。
彼らはまだ『ホムンクルス』を知らないだろうから、いらない知識を埋め込もうとは思わない。
「そんなにすごいのかい、クレイモアは?」
「大佐、早く寝ないと治りませんよ。」
我ながら無理矢理すぎる話題転換だとは思うけれど、あまりその話はしたくなかった。
そんな空気を察したのか、ロイもそれ以上の追求はしてこない。
何だかそれはそれで気まずいなと思ったので、少し茶化して補足だけはしておく。
「大佐なんて一捻りであの世逝きですよ。」
「・・・遠慮しておこう。」
「しませんよ。もう勘弁です、そんな事、」
ぽつりと、そう呟いて再び手帳へと視線を戻す。
そんなを見て、それ以上は何も言えずにロイもただ何もない空間をぼんやりと眺める。
気まずくはなかった、不思議と。
沈黙が心地よい。 お互いに深い深い闇を持った者は、共鳴しあうのだろうか。
「尋常じゃない数の人間の命を、一瞬で奪った。」
頭に入らない錬成陣、考え事をしながらの勉学ほど進まないものはない。
彼の言葉に顔までは上げないけれど、ペンを置いて話を聞く体勢を示した。
「イシュヴァールの殲滅戦、聞いたことがあるだろう?」
中尉やヒューズも関わっていた、そう続け。
溜息をひとつ吐いて右手を宙に突き出すロイ。
「この手で、ひとつ指を弾けばあたり一面の命が全て散っていった。」
人だけはない、動物も虫も、草木さえも一瞬で息絶える。
そこには砂漠しか残らないんだ、と。
「命令とあれば、何をしてもよかったのだろうか、」
私には野望がある、やらなければならないことがある。
しかしそのために通過しなければならない場所が殺戮だったとした時、自分は間違っていたのではないのか、
「今でも、離れないんだ。」
怯えた表情でこちらを見る人間の姿。
そして轟々と燃える焔の中で、息絶える人々の最期の表情、
「傲慢ですね。」
彼の懺悔のような一言一言を脚蹴りにしたという自覚はある。
けれどまるで自分が被害者のような物言いに、少なからず苛々とした感情が湧き上がった。
「傲慢?」
「自分を守る言葉のように聞こえました。」
わかっている、彼の言いたいことなど。
しかし言わずには居られなかった。それは同時に、自分へ向けた言葉でもあったから。
「例え、なにか野望や目標があってそれを行ったとしても、自分で決断したことには変わりないんです。」
「それが間違っていたと感じても?」
ガタンと音を立てて椅子から立ち上がった私は、どんな表情をしていただろう。
「もう無い命を悔やむことより、そうしてでも変えなければならない何かに懸命にならなければ、」
―――――失った、奪った命に失礼すぎるじゃないですか、
最後は半ば叫ぶように、私はそう言い部屋を飛び出した。
「薬、買ってきます。」
出際に一言そう言い残して。
アトガキ
見切り発車も大概にしろと、誰か私を殴り飛ばしてください。笑