怖くて怖くて、仕方なかった。
人と繋がるということが、どれだけ私にとって幸せと同時に重たいことか、わかっているのだろうか。
人に愛されることは、同時に別れを想像してしまう。
だったらいっそ、何もしなければ思い出すこともないから。
だったらいっそ、距離を置いてしまったほうが、
置いていかれる苦しみを味わずに、すんでしまうから。

「私はそんなに信用が置けないのか?」
逃げ込んだのはバスルーム、鍵もしっかりとかけたはずだったのに背後でロイの声がした。
驚いて振り返ると、入り口に寄りかかって掌で金属を玩んでいる姿が目に入る。
鍵だ。
この家の住人は彼なのだから、どの部屋の鍵を持っていてもおかしくない。
は諦めたように溜息をついた。
「ちがう。」
「じゃあ何故?」
それは、と口にしたまま続きを言わないへと一歩脚を踏み出したロイ。
はそれに合わせる様に、一歩後ずさった。
ロイは降参だというように両手を挙げて、こちらへと歩み寄るのをやめる。
「近づくのも嫌か?」
「いや。」
「心外だな、私は何かしたか?」
「いや。」
「・・・嫌以外に何か言ってみてはどうかな、。」
わざとだろうか、艶のある声で最後に名前を呼んだ。
反射的にぱっと顔をあげると、絡まる視線を外せずただ呆然と立ち尽くした。
離せない視線、でも彼は私を直接拘束しているわけでもないから身動きはとれるはずなのにそれができないのは…、
ロイを愛してしまっているから。
なみだが、不意につと流れた。
止めようにも止まらない。
止める気もなく、重力のままにぽたりぽたりと染みを作っていく。
困ったように苦笑するロイ、心臓がギュッと締め付けられるようだった。
「もういい、すまなかった。」
うまく笑えていないのは見るからにわかるロイの笑み。
こんな風に笑って欲しいわけじゃないのに、これを作っているのは私だ。
だけど、手に入れたものを失う恐怖に足が竦み一歩前へ踏み出すことが出来ず、ロイの背中を見送った。
再び静寂が訪れる。
「・・・っ、」
嗚咽を堪えるのに必死になりながら、絶望感から拳を壁に叩き付けた。
違う、こんな失い方をしたかったわけじゃない。
でも、手に入れてからの絶望のほうが、もっともっと、ひどく痛い。
ただただ怖くて、臆病で、もどかしくて、悲しくて、痛くて、
「・・・っかんない、・・・も、・・・・・・わかんないよ、」
扉を開けて、シャワーを全開にする。
冷たい水が、温まった体を鞭打った。けれども、それでもこの痛みには遠い。
もっと、もっと、痛みが欲しい。
この心の痛みが、少しでも紛らわせられるように、
それ以上の肉体的苦痛が欲しい。
もっともっと、痛みが欲しい。
シャワーの音が鳴り出してから、三十分が経過した。
特に何の音もならない、ただ水の音がざざと聞こえてくるだけのその時間。
嫌な予感がした、ただの勘だけれど、嫌な胸騒ぎが。
小走りにバスルームまでかけて行き、扉を開けた。
「?」
本来ならそこに影のシルエットがあるはずなのに、黒い影は床に固まっていた。
バンと勢い良くシャワーのかかる扉を開ける。
「!!!」
銀灰が、あたり一面に映る。
はさみを握った彼女の髪は、ざっくりと切られて肩ほどに。
しかし、ロイが驚いたのはそこではない。
それと一緒に目に入る、はさみでつけられた全身の切り傷。
誰がやったのかなど聞かずとも、ここには一人しかいない。
「怖いの。」
何をやっているんだと怒るつもりで口を開いたが、先に彼女がぼそりと言った。
主語は無い、ただ「怖いの。」と。
「怖くて、仕方ないの。」
へへと薄く笑いながら、けれどそれは彼女がよくつかう、作り物の笑み。
こんな笑顔をさせたいわけじゃないのに、どうしてうまくいかないんだろうとロイは思った。
本当に、不器用で仕方ない。
「手に入れたら、手放す時がくるじゃない。」
そんな絶望を味わうくらいなら、初めからそんな幸せはいらない。
そうは言った。
だから、思わず言ってしまったんだ。
「結婚、しようか。」
それは特に深く何も考えずに口から出てしまったから、きっと私の本心なんだろう。
言ってから、事の重大さに気づいたけれどそれ以上に目の前のを見たら笑わずにいられなかった。
鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして固まっている。
「ん、・・・え?・・・はぁあ?・・・え、何?」
現実に戻ってきたと思ったら半否定の疑問文ときた。
おかしくて仕方ない、別に咄嗟に出てきた言葉だけれど正直考えていなかったわけではない。
一生共に居られる方法。
「・・・まぁ、えっと。仮にそうだとしても、ロイは先に死んじゃうわけでしょう?」
「私が死ぬときは、君を全力で殺してあげるよ。」
うわあ、物騒なプロポーズ。
思わず眉間に皺がよった自分に笑った。
「殺せるの?」
「ならこれから一生をかけて君を殺す方法を探すよ。」
またもや物騒な告白パート2。
くすくすと笑うと、ロイがふわりと私を抱きしめた。
冷たいシャワーに打たれた身体にロイの体温は暖かい、だけれど今度はロイも水に濡れてしまっていて…、
見上げようと上げた顔ごときつく抱き寄せられ耳元に唇。
「返事は?」
甘い声、この艶のある声で本気で囁かれてノーと言える女が居たら見てみたい。
くすぐったいその旋律に目を細めて抱き返す。
「ノー」
「・・・冗談だってば、そんな無言で落ち込まないでよ。」
見てる人がわかんないでしょうと意味のわからないことを言う。
俯いたロイの顔に手を添えて、唖然とする。
「え、ちょっ、・・・泣いてる?、・・・っはは。」
「笑うな馬鹿者、犯すぞ。」
捨てられた子供のような顔をしているロイに笑いが漏れた。
なんだかおかしくなってきて、二人で水だまりのなか笑い続けていた。
散々笑って、笑いつかれて、小さく息を吐く。
「ねえ、ロイ。」
シャワーを止めて、静かな空間となったそのバスルーム。
抱きしめられているから、しごく至近距離で響くの声。
ぞくり、とした。
それは快感からか、何かの予感か。
「愛してる。」
「知っている。」
くすりと笑いが漏れて、静かな場所で顔を見合す。
違和感などなかった、ロイが右手の指でぐいっと顎を上げたから。
瞳を閉じた。
唇を、受け入れた。
ロイ・マスタングを、受け入れようと、決めた。
貪るような口付けに、息が上がる。
背中をなぞるロイの指に、ぞわりと何かが込みあがってきた。
この感覚は知っていた、久しぶりだなと不謹慎にも笑ってしまう。
「焦らなくても、逃げな、」
「もう我慢できない。」
黙ってと言わんばかりの口付けに、目を細めて力を抜く。
そのときには、抱かれたいと思っていた。
自然と、ロイに抱かれたいと思えて、現実を全て受け入れる気にもなれている自分がいた。
だから、ひとつの決意をする。
もう一人の私と決別するという、決意を。
もう、決めたんだ。
「・・・?」
知っている感覚を現実世界から感じて、眠りの世界から覚醒した。
隣を見ると、散々泣かせて散々鳴かした彼女の姿がどこにもなくて、首を僅かに傾ける。
「・・・?」
何だろう、今日何度目になるかわからないぞわりとした感覚が蘇り、急に不安にかられた。
ベッドから抜け出して、羽織を手に取り寝室を出て彼女を探す。
一部屋一部屋、開けては閉めて、開けては閉めて、無駄に部屋数のある自宅がこのときばかりはもどかしい。
順番にみてきた部屋にはおらず、最後に残されたのは一番寝室と離れた部屋。
扉に手をかけると、ばちりと電気が走った。
の錬金術だろう。
ポケットから手袋を取り出しドアノブを燃やしたつもりがドアごと燃やしていた。
轟々と上がった炎が上部から炭と化してきて、ぱらぱらと上から崩れていく。
ぱらぱらと・・・、
崩れていく。
「!!何をして・・・、・・・・・・?」
の描いていた錬成陣には見覚えがあった。
そして彼女が用意したと見られる材料の残りが周りに積み上げられていた。
水35ℓ、炭素20s、アンモニア4ℓ、石灰1.5s、リン800g塩分250g、硝石100gイオウ80g、フッ素7.5g鉄5gケイ素3g、
硼素、フッ素、珪素、ヴァナジウム、クロム、モリブデン、コバルト、ニッケル、銅、砒素、セレン、マンガン、スズ、ヨウ素、亜鉛、
小さなメモ用紙に、見たことのある文字で書き綴られていた。
鋼の、文字で。
間違いなかった、彼女は人体練成をしたのだろう。
対価として、妖魔の部位を持っていってもらえることに賭けて。
「。」
だが、答えはなくて。
「。」
口は開かない。
「!起きなさい。」
ひっぱたいたって、痛いとも言わなければ、眉間に皺すら寄らない。
別に、半妖のままだって彼女を愛していたのに。
彼女を愛して、彼女と共にある人生を選ぼうとしたために、彼女はひとへもどる道を選んだのだとしたら、
それでこうして白い顔を更に白くしているのだとしたら、
私は、どうしたらいい。
アトガキ
よし、これは最後までつっぱしるぞ。ってことで次回最終章。
・・・の、はず(裏は裏に用意するので。