出来うる限りの速さで草原を駆けると、遠くに求めていた姿を見つけた。
戦が嫌いだという彼女には申し訳ないが、無駄な動きひとつしないは可憐ささえ伴って敵を伏していく。
綺麗だと、不覚にも思ってしまった。
彼女の両サイドに構えをとっている人物に瞠目したが、すぐに平静を取り繕って踵を返した。
「不覚ですね」
軍の体制を半ば無視して気づいたらここまで来ていた。
陸遜にしては珍しく取り乱していたのだった。
6
遠くからこちらを伺う陸遜の気配に、胸が躍った。
しかしすぐに踵を返して駆け去るのが目に入り、少しちりりとした痛みを感じた。
「伝令っ、城が蜀呉全軍によって攻め入られております」
突如息をきらせてやってきたのは魏からすればとんでもない訃報で。
やけに蜀軍が少ないのは気づいてはいたが、伏兵としてそこらへんにいるのだろう位にしか思っていなかった。
「おのれ、諸葛亮め」
意地でもを討たせない気なのか、はたまたを利用して魏を落とそうとしているのかは不明だが、おそらくどちらもであろう。
兎にも角にもこんなところで油を売っている場合ではない。
一気に戦意をなくした彼らに気づいたは、呂布と左慈がそれぞれ違う方向へ去っていくのを見送った。
曹操率いる軍団もまた、魏という国を守るために馬を駆け始めた。
どうか間に合いますように、彼らは彼らなりに、そう願って生きているのだろう。
はそんな状況を見て、気を僅かに緩ませた。
ここでの戦いは終わりだというのは誰もが口にしなくてもわかっていることで、もまた自軍にもどろうと、振り向いたその瞬間、
前方に何故か消えたはずの陸遜が馬に跨っているのを見た。
気配を完全に消していたわけではないようなので、ただ気づかなかっただけなのだが、不意に嫌な感じが背後からやってくるのと、
「っ」
陸遜が叫ぶのが同時で。
ズプリと、嫌な音がたったなぁと他人事のように思った直後、強烈な痛みが背中に襲うのを感じた。
「これくらいいいだろう」
くつくつと笑いながら曹丕が駆け去る声が聞こえた。
自分のことなのに、どこか他人のような感覚で、気づくと陸遜が目の前まで駆け寄ってくる。
目の前がぐにゃりと歪むのを必死に食い止めて踏ん張るのも虚しく、地面に崩れ落ち、案外脆いものだなぁと冷静な頭が呟いた。
陸遜が追撃しようと向かったのが見えたが、思ったより早くこちらに向かってくるパカラパカラという音がする。
「りくそ、」
「何やってるんですか!」
名前を最後まで呼びかける前に、抱きすくめられていた。
怒っているのも当たり前だよね、勝手に裏切ったようなものだし。
私が苦笑するのを見て、ペチと頬に痛みが走る。
叩かれたと気づくのはその少し後で、殴られるほど怒っているのかと伺えば、見当違いの答えが返ってきた。
「勝手なまねばかりしないでください! 寿命が縮まるかと思いました」
語尾を弱めるように言うそれが、なんだか弱気な発言に聞こえて笑ってしまった。
笑うと背中に刺さったままの矢がズキズキなんて言葉では表現できないような痛みを伴う。
それでも笑ってしまった。
「私は諸葛亮殿の下に移ったわ」
「知ってます」
本来ならば、抹殺できるような状況ではあるが同盟国の仮にも崇拝する軍師殿の引き抜き。
でなかったら即行で殺していたかもしれない。
「まんまと裏切られました」
「私は簡単に裏切るわ」
調子にのってあまりにも非道なことを言っているとこの矢をぐりぐりされかねないのでここら辺でやめておこう。
首をすくめるをみて、とりあえずその背にささる矢の根元を少し残して折ろうとした。
眉根を寄せるの苦痛の表情に、傷の深さを改めて知る。
「理由はどうあれ、あんなにもあっさりと出て行かれるとは思っても見ませんでした」
「理由なんて特にないの」
「・・・そうですか」
尚香の具合はよくなってきているだろうか。伏せた『理由』の体調が気になって仕方ない。
「姫君はもうお元気ですよ」
手折った弓を掌で転がしながらそう一言。
本当は理由に気づいているのではないのかと思っている。
裏切ったことを怒っているのではなくて、何故頼らなかったのかに苛々としているということに気づくのは、当分後の話。
よかった、と微笑んだと同時に、意識を手放した。
ぱたりと音をたてたように力が抜けた彼女を抱きとめて、馬にそっと乗り駆ける。
異世界からきたという彼女は、どうしても抱え込む癖があった。
たまに本心が読めないことがある。
彼女の本音がわからないもどかしさにいらつきを隠せず、彼女自身に辛辣な応答をよくしてしまっていた自分にまた苛々として。
「もっと頼ってください」
腕のなかで蒼白な顔色をしたをぎゅっと抱き寄せ、祈るように呟いた。
それと同時に軍師としての自分はを少なからず利用しようとしているという事実に頭をかかえる。
『頼ってほしいが利用はする。』
とことん都合のよい頭をしているものだと自分を嘲笑する。きっともそんな自分をわかっているから頼れないんだろうと、わかっていた。
夢をみた、幸せだった頃の。
ちかちゃん、ちかちゃん、おいで。
幸せそうに微笑んでいる自分がそこには居た。
小さな温もりをたまらずに抱きしめたの顔は本当に幸せそうで、これが夢だと気づいた。
『起きたくないな』
そう思うのと覚醒へと導かれるのは同時で、ゆっくりと瞳をあける。
起き上がろうと力をいれれば背中に痛みが走り、そういえば射られたんだったななんて悠長に思い出す。
静まり返っているからおそらく夜もふけた頃なのだろう。誰か呼ぶべきかとは思うが、起き上がるのが億劫だった。
ふと襖の外に気配を感じて、反射的に寝た振りをする。
静かに入ってきた二つの気配に、狸寝入りをしたことを心底後悔した。
「殿と呉国の姫君の婚姻は正式にお受けするという形でよろしいですか?」
「はい。時に諸葛亮先生、は返していただけませんか?」
「どうしましょう。彼女は一度裏切ってこちらに来た身ですが、そちらで受け入れられるのでしょうか?」
「それは彼女の過去の人徳、そして此度の戦でも呉の兵は彼女に攻撃をうけてはおりませんので大丈夫かと思います。」
「こちらとしても同盟を組んだからには殿の協力も常に得られると考えれば良いのですから、そちらにお返ししてもよいのですが。」
「あとは自身がどうするかですね」
「そうですね、自身がどうするかですね」
一気に捲くし立てるようにつらつらと、の気になるところであった話題を棒読みで述べ合った二人は、沈黙に徹した。
無言、無言、無言、 瞳を閉じていてもわかる、視線。
「怪我に障る威圧だわ」
諦めたように溜息と共にそう呟く。
すると二人とも、おや起きていたのですか、などとふざけたことを言うもんだから開いた口が塞がらない。
「何しにきたんですかあなたたち」
「「見舞い?」」
声をそろえて、全く見舞っていない彼らにちらりと視線を向ける。
それを見て諸葛亮がいやな笑みを浮かべながら「では、おやすみなさい」と退室していった。
彼が完全に退室したのを確認して、陸遜が寝台へ腰掛ける。
「大丈夫ですか?」
背中の傷はズキズキと痛みを伴ってはいたが、動けないほどではない。
それよりも少し混乱していた。
これから呉に戻れるかどうか、とういうことではなく、受け入れてもらいえるのかということ。
蜀に残ろうと、そんな考えも過ぎった私をまるでお見通しだというように陸遜は笑う。
「しばらくこちらに残ってもいいですよ」
まさかそんな選択肢が与えられるとはおもわずに、思わず「えっ」と瞠目してしまう。
完全に選択は私自身に委ねられた形となってしまい、困惑する。
そんなの表情をちらりと見ながら、彼女の返答をまつ陸遜の視線も今は少し苦かった。
「私は、呉を裏切ったの。」
次に言葉を発した彼女は、完全に自分を覆い隠してした。
これは陸遜にも本音が読み取れない状態にあって、それが真か偽りか、確立は二分の一。
凛とした空気を纏う彼女の表情は喜怒哀楽のどれでもなく能面のよう。
「何故、蜀に寝返ったのですか?」
「それが、最善だと思ったから」
きっぱりと、そう答えた。それは間違いなく彼女の真意であるとわかる。
しかし、彼女が呉を守るために立ち去ったという結論まではたどり着けるわけもない。
この物言いだと、まるで利益がそちらにあるから行ったのよと言われているような言い方であった。
そんな相手を探るときの陸遜の表情を見逃すではなかった。
尚香を、呉を守るためだなんて、死んでも教えない。
いつか気づくときがくるかもしれないが、自分で話すつもりはなかったし、それはポリシーに反すると思った。
まるで尚香のせいだなんて告げ口をするみたいで、それだけはするつもりはない。
「しばらく蜀に残ります」
意を決してやっとのことでした発言だったが、その後の陸遜の、予想を上回る発言に唖然とした。
「では、私も残ります」
意味がわからない。口をあんぐりと開けそうになったが、それだけは止まった。
では明日諸葛亮殿に話さなければなどと暢気にそんなことを言っている彼を、正気に戻れと肩をつかむ。
「怒ってるんです」
にっこりと最高の笑みを向けてくれた陸遜と、その言葉は真反対。
なんだかよくわからないが、逆鱗にふれているのだろうということだけはわかったので首をすくめるだけにしておいた。
それを了解と得たのか、陸遜は「では私も失礼しますね」と言い残して去っていった。
「わからなくもないけど、そんなそこまで怒るような寝返りじゃなかったはずなのに・・・」
寝返り自体に怒りの焦点があると思い込むにとっては、末恐ろしいと感じるだけだった。
陸遜の恨み、恐るべし。
「素直じゃないな私も」
私達呉を頼ってくださいと、そう言えない陸遜もまた子供だなと自分を笑うしかなかった。
言ったところで拒絶されかねない、それが怖かったのかもしれない。
自分の感情をもてあまし始めているのを彼自身が一番感じていた。
「馬鹿みたいに臆病になってますね」
素直になれない自分にそう向けて一言、静かに夜はふけていった。
アトガキ
素直というには程遠い人種だと勝手に判断したまでです。